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こんにちは カットマンのumechaです。
今回の記事は 以下に関する記事です。
【卓球指導】
中~高齢 初心者の方に対して、
サーブやレシーブを教える
必要性の疑問
⇩本記事は以下の方にオススメです⇩
サーブはこうする!
バックハンドはこうだ!
・・・・・・
⇩本記事を読むと以下がわかります⇩
本記事は自主講座の講師向けです。
中~高齢の初心者の方の
目的を理解してあげましょう。
目的次第ではサーブやレシーブは、
必要ありません。
本記事で言いたいこと
私の通っている自主講座には、中~高齢で始めた方もいらっしゃいます。
そうした方々に対し、熱心にバックハンドの振り方から始まり
はては、サーブやレシーブまで教え込む自称講師の方がいます。
様々な社会人も参加する自主講座は,
中学生の部活ではありません。
中~高齢者の初心者の方に対しては、
その方の目的を理解してあげましょう。
例えば、趣味と健康維持が目的で、
試合に興味がない中~高齢初心者の方に無理して
- バックハンドを教える必要がありますか?
ただ当てるだけのバックではなぜダメなのですか? - 本当に、サーブが必要ですか?
- レシーブなんて必要ですか?
いやしくも自身を講師と自称するのであれば
自分よがりな一方的な思い込みで教えるのではなく、
相手を理解する大人でいることが重要です。
ラリー目的ならサーブは不要
概要
中~高齢初心者の方で、目的が試合だはなく、
趣味と健康維持ならばサーブは不要です。
何故なら サーブの目的は大まかに分けて以下 2つあります。
- 相手をレシーブミスさせる
- 3球目攻撃のため
次章より詳しく 趣味と健康維持のためのラリー目的の方に
必要ない理由を解説します。
相手をレシーブミスさせる
考えれば、わかることだと思いますが
試合でもないのに、サーブで相手をレシーブミスさせたら
ラリーが始まりません。
趣味と健康維持が目的ならば、その本質はラリーにあるはずです。
従って必要ありません。
3球目攻撃のため
3球目攻撃については、
⇩以下の記事を御参照ください⇩
つまり、スピードドライブやスマッシュができて、
始めてサーブが活きてくるのです。
従って、3球目攻撃のためという理由においても必要ありません。
特に初心者の方が無理してサーブをしても、
相手のレシーブミスで、高く浮いたボールになった時に、
スマッシュができなければ、高いボールに対応できず、
相手のレシーブミスを活かせないまま、自身がミスをしてしまいます。
では、レシーブは?
断言しますが、必要ありません。
レシーブに必要なのは、以下です。
- 瞬時に相手の回転を見抜く洞察力
- 瞬時に適切な返球を決断する判断力
- 実際に返球する技術
解説するまでもなく、中~高齢初心者に出来るわけないでしょう。
また、中~高齢初心者の方が、
趣味と健康維持であるならば、本質はラリーです。
逆に レシーブを教えこまなくてはいけない理由がわかりません。
中~高齢初心者にとって重要なこと
趣味と健康維持のためならば
その方の目的が。趣味と健康維持であるならば、以下で十分ですし、
本人も以下で手一杯なはずです。
- フォア打ち
- 当てるだけバック
- ツッツキ
これ以外の余計なことを、あなたがチョビチョビ教えるから、
自身が今できることに目が向くのではなく、
自身ができないことに目が向き、
卓球が難しく感じ、嫌になるのです。
従ってサーブやレシーブなんて、
むしろラリーを阻害するためのものになります。
バックハンドにしても、中級者でもバックハンドなんて、
どっちみち 威力 汎用性などフォアには遠く及びません。
であれば、バックはブロックで十分でしょう。
フォアに来たら フォア打ちで迎え打てばいいのです。
本人の目的に応じて 技術を教えていく
最初はフォア打ちなどの基礎技術でも、その方次第では
物足りなくなって、もっと上級の技術ができたいと思うかもしれません。
そうしたら、バックハンドの振り方や、
できればスマッシュやスピードドライブを教えていけばいいのです。
サーブやレシーブは、本人が試合に出たいとなったら、
教えても遅くありません。
まとめ
- 自主講座は、様々な年齢の方が来ます。
- 従って 中学の部活ではありません。
- 特に中~高齢で卓球を始めた初心者の方においては
何を目的としているかの理解が必要です。 - 趣味と健康維持のためであれば、以下で十分ですし手一杯です。
フォア打ち、バックは当てるだけのブロック、ツッツキ - バックハンドは振る必要はありません。
当てるだけのブロックで十分です。 - ましてや、サーブ レシーブも必要ありません。
- 基礎技術で手一杯なのに、余計なことを教えると
自身が、できないことばかりに目をむけてしまい
卓球が難しく感じられ、嫌になってしまいます。 - 自主講座と言えど、人に何かを教えるということは、
自分の独りよがりであってなりません。